霞間ヶ渓の桜
鎌ヶ谷は池田山を水源とする谷川で、古来近隣の村々(藤代・山洞・上田畑・下田畑・六之井・下東野)の入会地として薪取りや飼料、肥料としての草刈りに利用されていた。 しかし、谷が急峻なのに加え、乱伐がすぎて地盤が弛み、度々土砂崩れなどの災害に見舞われた。このため、入会六か村が協議し、安永九(1780)年、山林保護のための鎌留め(草木の伐採の禁止)を申し会わせた。
以後、乱伐と鎌留めを繰り返すうちに、雑木と共に山桜が生い茂るようになり、春に桜の花が開く様子が遠くから見ると山に霞がかかったように見えるとこから「霞間ヶ渓」と呼ばれるようになったという。
「霞間ヶ渓」の文字は天保八(1837)年以降の文書に見られるので、その頃には既に桜の名所として認められていたと思われる。桜はヤマザクラを主にして、ヒガンザクラ、ソメイヨシノなどがある。
