輪中堤

輪中堤は輪中民が水とのたたかいの歴史の中から生み出したもので、洪水から人々の命と財産を守る防災堤の役割を果たしてきました。

この輪中堤も治水技術の進歩に従い、いくつかは取り壊され、もはや無用のものと思われるようになりました。

ところが、昭和51年の水害の際、残されていた福束輪中堤によって輪之内町が救われたのです。

上流の安八町、墨俣町(現・大垣市墨俣町)は長良川右岸、大森地区での決壊口から流入した濁流で家屋は水没し、大きな被害を受けました。

この昭和51年9.12水害により、人々は輪中堤の必要性と先人の英知を再確認しました。

洪水は過去の災禍ではなく、今後も考えなくてはならない輪中民の宿命的課題なのです。

今では、輪之内町を守ってくれた輪中堤に感謝を込めて堤に植樹された桜の木も大きくなり、毎年きれいな花を咲かせています。

平成30年には全国で初めて水防法に基づく浸水被害軽減地区として指定されました。