願成寺西墳之越古墳群
池田山東麗の大津谷と中谷にはさまれた扇状地上に分布する、県下随一の群集墳である。
この古墳群は古墳時代後期の六世紀から七世紀にかけて営まれたものと考えられ、現在まで111基が確認されてており、全て円墳で埋葬施設に横穴式石室を築いている。
横穴式石室は五世紀に大陸から伝わってきたもので、それまでの埋葬施設が遺体埋葬後完全に埋め戻されてしまうのに対し、古墳の横に入り口が開く構造になっている。このため、随時石室内部への出入りが可能であり、後には追葬と呼ばれる追加の埋葬が行われるようになり、家族墓的な様相を呈するようになる。
古墳の規模は、最大で一号古墳の直径二十m、高さ三・七mから六十六号古墳のようにほとんど墳丘の確認できないものまで様々である。現在まで一・二・三十六・五十七・六十六・九十五~101・五十一・五十二号墳が発掘調査されている。
